
週に5日ご実家のサポートへ
最近、久しぶりに会った友人から近況を聞く機会がありました。
長い間、お母さんのことを気にかけ、いろいろなことを引き受けてきた友人。
「もう限界」
「早くこの状況から解放されたい」
そんな思いがありながらも、なかなか離れることができないようでした。
話を聞きながら、私は「本当はとても愛情深い人なんだなぁ」と感じていました。
もちろん、本人にしか分からない気持ちもあります。
愛情だけでなく、責任感や「見捨ててしまうような罪悪感」など、複雑な思いが絡み合っているのかもしれません。勝手に踏み込むことはできないけれど、どうしても突き放せない友人の葛藤する姿がとても気に掛かりました。
友人の姿に、自分を重ねていた
そして、ふと気づいたんです。
「あれ? 私も昔、同じような思いを抱えていたな」と。
以前の私は、親に優しくできない自分をずっと責めていました。
「私はひどい娘だ」
「親に冷たくするなんて、愛情がない証拠だ」
今は物理的に距離を置いています。
近くにいた頃は、自分の心を守るのに必死で、親の気持ちや愛情からあえて目を向けないようにしていたのかもしれません。
でも、一度離れてみたからこそ、分かったことがありました。
離れて過ごす時間の中で、「あぁ、愛されていたんだな」と、落ち着いて感じることができるようになったんです。
すっかり心も楽になったと思っていました。
けれど、彼女のことが気になると言うことは、心の奥には、まだ解けていない想いが残っているのかもと思いました。

スッと心に落ちた言葉
そこで、試しに自分へこんな言葉を向けてみました。
「私はひどい娘だ」
…どこかに苦しさが残っていて、顔が歪みます。
じゃあ、反対はどうだろう?
「私は素晴らしい娘だ」
…これも、なんだかしっくりこない(笑)。
どちらの極端な言葉も、自分の本当の気持ちとは違っていたみたいです。
そこで、別の言葉を自分にかけてみました。
「私は私なりに、精いっぱいやってきた」
すると、自然と「うん」とうなずくことができました。
胸の奥から、静かに涙が込み上げてきました。
「親を大切に思うことと、自分を大切にすることは両立していい」
この言葉にも、また涙が出ました。
あぁ、そうだったんだ。
私はずっと「親を大切にすること」と「自分を大切にすること」を、どこかで対立するものとして考えていたのかもしれません。
自分を優先したら、親を見捨てることになるんじゃないか。
距離を置く私は、冷たい娘なんじゃないか。
そんな思い込みが、知らないうちに心の中に残っていたのだと気づきました。
「いい娘」という物差しを手放す
私たちは子どもの頃から、いろいろな価値観を身につけていきます。
「親を大切にしなければ」
「親の期待に応えなければ」
「いい子でいなければ」
誰かに直接言われたわけではなくても、いつの間にかそれが「自分の中の当たり前」になっていることってありませんか?
心理学でよく言われる「インナーチャイルド」のように、幼い頃の経験や思い込みが、大人になった今の自分にも影響しているのは、自分と向き合ってきた経験から身をもって感じています。
私の中にも、今でも「いい娘でいよう」と頑張っていた小さな自分がいたのだと思います。
そこで、最後にもう一つ言葉をかけてみました。
「私は、いい娘でなくても、愛されていい」
その言葉を向けた瞬間、また涙が込み上げてきました。
あぁ、私が本当に自分に言ってあげたかったのは、この言葉だったんだなぁ。

自分の人生を、もっと自由に
「いい娘」なのか「悪い娘」なのか。
そんな物差しで、いちいち自分を評価しなくてもよかったんですよね。
親を大切に思う気持ちを持ちながら、適度な距離を置くこと。
自分の心地よさや安心を選ぶこと。
それは決して「愛情がない」ということではなく、むしろ一度離れたからこそ、過去の愛情を素直に受け止められるようになることもあるのだと思います。
今回友人と会ったことも、今の私が自分自身と向き合うための大切なきっかけになりました。
友人の話を聞いているつもりが、実は自分自身の心の奥にあるものを見つめていたんですね。
誰かにとっての「いい人」や「いい娘」であることより、自分が自分らしくいられること。
これからは、もっと自分に優しく。
大切な人も、自分自身も大切にしながら、自分の人生を自由に楽しんでいきたいと思います。🌿